思い出じゃなくて

関西Jr毛利柊和くんに落ちたジャニヲタの戯言。

自己紹介

普通は恐らくこれから入るのだろう。

順番は違うが、ジャニヲタ遍歴と共に書いてみようと思う。

 

私がジャニヲタになったきっかけは、正直記憶にない。そう、ジャニヲタの英才教育を受けてきた。つまり、物心ついた頃にはジャニヲタだったのだ。

 

これが恐ろしいもので、ジャニヲタではない自分を知らずにこの歳まで生きている。ジャニヲタにならなければ、何が好きだったのか全く想像もつかない。

 

記憶のある限り1番初めに好きになったのは嵐の二宮和也だった。しかし、グッズ買ってたなぁという曖昧な記憶のみで、何が好きだったとかいう類の細かい事は一切覚えていない。

 

そして、小学6年生の時初めての担降りを経験する。降り先は関ジャニ∞錦戸亮だ。当時やっていたドラマにドハマりし、バンドを演奏する関ジャニ∞を観て幼いながらに「降りるしかない!」そう思ったのを覚えている。そしてこの時、私の影響で「関ジャニは買わないからね」と言っていた母が、共に関ジャニ∞村上信五に降りる。関ジャニ∞を知ったこの時。この時から本格的に私のジャニヲタ沼、若しくは関西沼に埋まっていくことになる。

 

関ジャニ∞を知って間もなく、『ジャニ勉』という番組から関西ジャニーズJr.を知る。そして第2の降り先、神山智洋に出会う。1年程の掛け持ち期間を経て降りることになる。『こんなに今はステージ上で輝いているのに、彼はジャニーズからいなくなってしまうかもしれない』そんな儚さの虜だった。また、神山くんのストイックで誰よりも熱いところが大好きだった。神山くんについては別でエントリーする予定なので割愛する。

 

そして13年の夏、現担当である毛利柊和くんに出会う。細くて小さな身体ながら、アクロバット要員として動く彼に惹かれた。そして、あれから4年。今へと繋がる。

 

書いていて、改めて私の人生はヲタクしかないなと。

 

メイクはもちろん、ネイル、ヘアアレンジの腕が上がったのもジャニヲタだったから。お小遣い時代、ヘアメや可愛い爪のお姉さんに憧れ、自分で出来ないかと練習した賜だ。

ストイックに日々ダイエットに勤しみ、美に貪欲でいようと心掛けるのも、スレンダーがタイプという担当がいたからだ。

 

ジャニーズ様様である。もうジャニーズに貢ぐしかないのである。私はそんなジャニヲタ10年選手の毛利担なのだ。

 

そしてまた趣味の大阪旅行に行くと称し、大阪へ向かうのであった。